説教臭いブログ

中途半端なので、タイトル変えてみた。多分説教臭いと思う。

影響したい気持ち

子どもと一緒に喋ったり遊んだりしてると思うこと、先日 RailsGirls に行ったりして考えたこと、でちょっと整理してみる。

多分、色々なものの見方の一面、価値観というだけだと思うけど、一応ズレては無いと思う。

多分、人間の?大欲求というのには、「影響欲」みたいなものがあると思う。 (支配欲、というのが近いような気もするけど、ちょっと違うかな、と思うので「影響」という言葉にしてみる)

子どもとの関わり

子どもと遊んでいて多いのは、「子供が何かしたことで自分が大げさに反応すると喜ぶ」ということ。

子供に「つんっ」って自分をつついた時に、うわーー、って大げさに転んだりすると喜ぶ。 ただ、あくまで子供の意思でやったことでないとNGが出る。誘導して起こした動きはやり直しになる。

こちらが見本みたいなのを見せて、それに乗る感じでやることも多いけど、最終的に「自分がこれをするとこうなる」という意思を持っている状態で行動を起こして「結果が期待通りになる(もしくは期待以上だけど同じ方向性の結果)」になることを楽しんでいる。

例えば、最初にこちらから自分を押すように仕向けて、子供が自分を押したら「うわー」って大げさに後ろにすっ転ぶ。

そうすると、それを喜んでまた同じことをする。

避けたり、転ぶ以外のアクションを取ると、「違う」ということになる。(娘:3歳)

でやり直したりして、今度は大げさにこけたり、合気道的な巴投げのような感じになるともっと喜ぶ。

たくさん遊んでいると感じるのは、自分の起こしたアクションで自分より大きなお父さん(自分のこと)に影響を与える、自分の思い通りにできるのが楽しい、という感じという風に見える。

運転すること

男の子で多いのはやはり、パイロット・運転手になりたい、という話だと思う。

自分でも運転は好きだし、何かしらを操作するのも好きだ。 自分が操作して、それが思い通りに動く、ということに楽しさや喜びを感じているように思う。

近いところでは「ゲーム」とかも同じじゃないだろか。自分の操作でゲーム内の何かが動くという感じ。

ちょっと違うかもしれないけど、子供に iPad 渡してタップしたら何かが動く、というのもそれ自体を楽しんでいるように思える。 ゲームのコンテンツが何か?ということはそれほど問題ではなく、自分がコントロールできる、ということが楽しさの本質なんじゃないか、というように見える。


子どもと世界との接点にあるものの分類

特に子供の場合、身の回りにあるものが「能動的なもの」なのか「受動的なもの」なのか、ということで分類されそうに思う。 (別に子供じゃなくても同じ)

自分が何かをする、ということでその「もの」との関係が発生するものと、何もしないでも情報が入ってきたりするもの、とか。

例えば、テレビはほとんど受動的、という感じになってただ見てるだけ、という感じになって、自分から何かすることでテレビの内容が変化する、というものではない。(ビデオ再生とかは一応除く)

逆に、スマホアプリだと自分が操作しないと何も起きないし、それによって結果が変わったりする。これは能動的な行為の対象になるのかな、と思う。同じ分類にするのは微妙だけど、楽器とかも能動的な対象になりそう。

言うまでも無い感じするけど、能動的な方がいいだろうな、というのは思う。情報の内容にもよるけど受け身で入ってくるだけの情報がいいのか?と言うとちょっと良くは無いと思う。

(少し主題から逸れそうだけど)親との会話なども能動・受動というのがあるように思う。 親の言うことを一方的に聞くだけ、親が押し付けて子供の話を聞かないという親子と、子供の話にちゃんと返事するという親子で、どちらが良いのだろうか。何を持って良いとするのか?ということは難しいが、親に返事してもらえない子供を見るとあれは、テレビを見ているのに近いか、普段は反応があるけど相手の都合で反応が無いバグみたいな状態、に思えてしまう。

(先日出かけた帰りに、4人家族で5歳くらいのお兄ちゃんが「おかーさん、おかーさん」って声を掛けてるけど夫婦で喋ってて返事しないで歩いてくのを見ていてちょっとつらい気持ちになった)


(ここで書いてる日をまたぐ・・・) 話をプログラミングに持って行こうと思ったけど、流れが微妙なのでまた別で。

自分の行為で世界に影響を及ぼすこと

子供に限らないと思うけど、自分がした行為が他人なり社会なりに何かしらの影響を及ぼす、ということが外界(自分以外)との関わりの大きな物事の一つになると思う。(それが全て、という話ではない)

少なくとも子供のうちは、赤ちゃんなら泣いたらお母さんが来てくれるとか、幼児期なら言葉を覚えて正しく言えたら相手に伝わる、とかで自分の言動によって相手が何かしてくれるのを期待するし、それができることの喜びに敏感になっているように思う。

中高生くらいはよく分からないし、どうでもいい。

大人になると、何を自分で制御できて何は触れないのか、ということがはっきりしてくるように思う。とはいえ、仕事を始めたりして環境が変わると、何かできるんじゃないか、という気持ちは生まれたり消えたりしていくんじゃないか。 もしくは、影響を与えることに欲求がなくなる、目に見える影響を与える行為をしなくても良くなる。

自分の行為で何かの影響を与えたい、というのは今はあまり無いと思うけど、少なくともその欲求がある人のサポートはしたい。